アクシデント 2008 Home
1/1謹賀新年  1/14 今日の母 1/16介護サービスの情報の公表 1/24 
1/25プラスモイスト 2/4便秘 2/17血圧 3/4血尿? 3/5血尿?その後
3/11血尿?その後のその後 3/31母の食べたい気持ち 4/8慢性膀胱炎
4/10入浴全介助 4/24再診 4/29けい皮血管形成術 5/2無事終了!
5/11W母の日 5/15母のカット 5/28インシュリンを中止 6/5風邪? 6/8終末・・・
6月18日  7/5錯覚 7/14日々雑感 7/25納骨するために
7/31 49日を終えて  8/6 ムックの気持ち
9/19 今思うこと
閉じめにしたアクシデント2008ですが・・・^^;
今になって思うことが、ちらりほらりと出てきましたので、書き込んでおこうと思います。


実は先日、ある特養ホームに見学に行ってきました(なぜ今頃と思われるでしょうが、ちょっと付き添い・・・みたいなものです。)

そこで、終末ケアに取り組んでいる張り紙を見つけました。
母を見送ったばかりの私はやっぱり気になる。
眼鏡^^;をかけずに見たから、とっても大雑把に見ただけなんだけど・・・利用者さんとのかかわりが、写真つきで報告されていた。
この場所、人の出入りする場所にに終末ケアって、ちょっと重たい内容だなあと思ってしまったが・・・

終末って、いつのことなんだろうって、思ってしまった。
少なくとも特養に入っている人は・・・終末が近いわけで。。。
母の場合・・・透析が出来なくなったときからが、終末だと思っていたのですが。
よ〜く考えると、母の食事が摂れなくなり、ミキサー食になった頃・・・そのころはもう終末期に入っていたのかなと。。。
いつ何があってもおかしくないですから・・・って言われていたという事は、もうその時点が終末だった!?
う〜〜ん、私は終末期の時期を把握していなかったのかも^^;;
自分で思っていた終末期のずれを感じてしまいました。
まあ、ずれていようがなかろうが、母の向かう道のりについては変わることはなかったと思うから、いいんだけど〜・・・




8/27 感謝申し上げます。
母が亡くなって、二ヶ月ちょっと。私の暮らしも普通に戻ってきました。
と言っても、母の介護があるのが普通の暮らしだったわけですが。
母のための時間がすっぽり無くなってしまいましたから、ぽっかり穴が開いてしまうのかと思いきや、主婦としての雑務がその穴をしっかり、埋めてくれています(笑)
今まで目をつぶってやり過ごしてきたことが、いっぱいありましたからね^^;

では気持ちは・・・というと、私って冷たいのかと思うほど平穏。
母が亡くなって、涙することは多々あったのですが・・・
母を介護し始めころのほうが、もっと泣いていたような気がします。母が母でなくなっていく悲しみや、これから先の不安。。。夜も眠られず、目を閉じるだけで涙があふれていました。
今、母のために流す涙とは比べようのないくらいに、切なかった。
今は・・・母を見送れた安堵の涙です。

母の介護を振り返ったら・・・いろんなところに介護の節目があったことに気づかされました。難儀してその節目を通り過ぎたら・・・母の介護を卒業・・・と言うことになってしまいました。
  
・始めて入院した母が、病院に適応しない事が解った時。
入院が長引くほど、母の認知症が進んでいって。
早く退院させることだけを考えていました。
毎日、病院に付き添って・・・顔つきの変わる母になすすべももなかったっけ。

・母の様子が変だと家族に告げた時。
退院してくると、すっかり普通の人になっていた母。
だけど、おかしなことを言ったり、粗相をしたり・・・
母の尊厳に関わるるような気がして、家族にも話せなかった。。。
でも・・・そうも言っていられなくなって、家族に協力を頼む。
「おばあちゃん・・・ヘンだから・・・」って。
家族はとうに知っていたんだけどね。

・母を第三者に托そうと決めた時。
これは忘れようにも忘れられない出来事でした。
夜中に尿路結石を起こした私。七転八倒の苦しみでした。
強烈な痛さの中で、母の透析の準備を娘達に頼みました。
そして・・・救急車の中で介護認定を受けさせようと決めました。
私が倒れたら、全てがダメになる。実感でした。
母の水分制限に付き合う形になっていた私の生活様式を見直す結果にもなりました。

・母が骨折した時。
介護認定を受けて、なんとか週一回デイサービスに行ってくれるようになった矢先の骨折でした。透析の通院も入浴介助もヘルパーさんにお願いをすることにしました。
動けない母の重さを実感したからです。

・母の治療を医療者任せでは無く自分で調べて工夫を始めた時。
動けなくなった母にジョクソウが出来、なかなか治らなかった。
リスクがいっぱいある母だから、仕方がない・・・と言われても。
痛みだけは何とかしてやりたいと思いました。覚えたてのネットで調べまくっていたら・・・いろんな情報に出会う。
自分で何とかできるんじゃあないかと、思ってしまった。
このときから自己責任が付いて回る^^;

・母を施設や病院に預けられない、と分かったとき。
介護サービスを使い始めると、自分の疲れが一気に出てくるのが解って、もう少し、長く休みたいと言う気持ちが出てきました。で、ショートをお願いしようとしたら・・・
いろんな制約があってなかなか出来ない。
自分の疲れのたまり具合、これから先のことを考え、あの手この手のショートを考えた。このことは医療者の方を含めていろいろな形で話させてもらったけれど、現実は簡単にはいきませんでした。最後に引き受けてくれたのは老人保健施設の究極のショートでした。
これで私は、ひと息もふた息もつかせてもらいました。

・母の終末を考えるようになったとき。
母のレベルダウンに伴い母の終末を考えるようになりました。
透析患者の最後を見聞きするうちに、なんとか穏やかな最後を迎えさせたいと思うように。訪問看護を入れたのはそのためでした。

母は・・・穏やかに旅立っていきました。
結果的には私が望んでいたような(多分、母も・・・)最後だったと思っています。
一つ一つの介護はそれぞれが大変だったにもかかわらず(実はあまり大変な介護をしてきたと言う実感はないのですが、今になって振り返ると・・・大変だったかもしれない、なんて思ってしまう。のんきな性格なんです)、今の私には懐かしく思えます。
不思議な感覚ですが、思い返せばかえすほど、せっぱ詰まっていた自分の気持ちはどこか遠くに置き忘れてきたような気がします。


「私たちは私たちだけでは生活できないんだよ。いろんな人のおかげで生きていけるんだから・・・皆さんに感謝しようね。」
母の声が聞こえてくるようです。
有形無形、支えてくださった皆様に、心から感謝申し上げます。
・・・有難うございました・・・


このアクシデントのコーナーは主がいなくなってしまいましたので、ここで終了とさせていただきます。長い間、拙い文章にお付き合い下さいまして有難うございました。
これからは「がうら日記」にボチボチと書いていこうと思います。



8/6 ムックの気持ち
ムックが我が家に来たのは母が透析を始めて半年くらいたった頃でした。
母はちょうど入院中で。
犬は集団を作って生活をするから、家族に順番を付けたがる。
ムックも子犬でしたが順番を付けていました。
自分を買ってくれたがうら娘が一番、夫、がうら娘2、そして付き添いをしていて自宅になかなか帰ってこない私は・・・お客さん?のようで。
そしていよいよ母が退院してきたとき・・・その順番が変わりました。
夫、私、がうら娘1、がうら娘2・・・母はというと、特別扱い(笑)

透析から帰ってくれば、飛びつくは、スリスリするは・・・大げさに歓迎していました。
それは最近まで変わることはありませんでした。ベッドに寝た母に飛び込んでいく様子を見た人は大丈夫かとびっくりするのですが、母の顔に自分の手足が当たらないように加減をしていました。

そのムック・・・母が亡くなり、自宅に戻ってきたとき、いつもと違う人の出入りに吠えていましたが・・・
一瞬の隙を狙って母の元に走りよってきました。
でも・・・何かを感じたのでしょう。
母の元に飛び込むことはしませんでした。「出て行きなさい。。。」という私の声を確認して・・・母の枕元をそっと歩いていました。母の周りを半周すると・・・そのまま部屋を出て行きました。もう、鳴きませんでした。
多分・・・ムックはその時、母の死を確認したように思えました。

その後しばらく、急に夜鳴きをしていたりしましたが、声をかけると鳴きやみましたから、落ち着いたと思っていたのですが・・・

先日、また夜中に鳴き始めました。それも母の部屋に向かって鳴きます。
「たいへん!!おばあちゃんがいないよ!」って・・・多分。
私のベッドに走ってくるんです。
そのたびに、「おばあちゃんね〜居ないんだよ・・・」って、言い聞かせる私。
その夜は何度も繰り返しました。
あの時、ムックは母の死を確認したと思ったのに・・・

きっと錯覚をしたんだね〜・・・
ムックをムギュ〜〜って抱きしめてあげました(ムックは迷惑そうでしたが^^;)


7/29 四十九日を終えて・・・
母を無事父の元へ送り届けることが出来た。
あんなに降っていた雨も納骨の時には小止みになり、前日の暑さに比べれば、このくらいの雨なら・・・
なんて、言っていたけれどTVを見て、土石流や突風の被害にびっくりしてしまった。

田舎のお寺に行く途中で「24度」のデジタル掲示板をみて、そちらのほうもびっくり。
母の粋なプレゼント?なんて思ったりした^^

母の白木の位牌は、父の位牌と同じ仏壇の中に納まりました。
そして今朝、和室にあった祭壇を葬儀屋さんが片付けてくれた。
母が亡くなる前と同じ空間になったのに・・・なにか、足りない。。。
いつもと同じ流れに戻るにはやっぱり時間がかかるのでしょうね。
家族はしっかり仕事モードで毎日をこなしている。
さてはて私はと言うと・・・まだ片付けている^^;

8月になったら、自分モードに切り替えることにしよう。

↑転送したつもりで居りました^^;
やっぱりどこか抜けてる(笑)
葬儀、法事も葬儀会館、マイクロバスも使って、随分手を抜いた・・・
がんばらない葬儀、法事があってもいいよね〜なんて^^;
おかげで、私の疲れもマックスにはならなかった。
このくらいなら母も許してくれるだろう。許容範囲って(笑)



7/25 納骨するために。
来週月曜日、1週間早いけれど49日の法要をすることになった。
我が家のお墓は高速を使って一時間かかる。で・・・親戚も一緒にマイクロバスを使うことにした。母と最後のドライブだ。

粛々と法事に向けていくと思っていたのだが・・・
どんなときにでもアクシデントはつき物で^^;
今週お参りに来てくださった住職が「納骨許可は取りましたか・・?」って。
え!?納骨許可!?うち、お墓はあるけど・・・許可が要るの・・・?
そうしたら、夫が「そういえば火葬場で証明書をもらった。」と言う。。。
あと一週間しか無いじゃん!
慌てて墓苑にアクセス。(ネットは有難いね〜)
納骨するための書類もダウンロードできることが分かった。

ほっとする間もなく・・・

墓地の相続?名義変更も必要になると言うことが判明。これには相続する人の戸籍謄本や住民票、母の除籍謄本もいる。

ということで、今日手続きを済ませてきた^^
カロウト?っていうのかな、目地を切ってもらうように石屋さんに手配もしたし・・・
もう忘れていることはないかな〜・・・
お墓もしっかり掃除して、父に、母が来ることを報告しておいた。
それにしても、暑かった〜〜


7/14 日々雑感 
今年はまだ母の49日が済んでいいのでお盆の行事はしない。
じゃあお盆に父は帰ってこられないって言うことなのかな・・・
そしたら、住職が「今年は、お父様に待っていただきましょう。」って。
母があちらの世界に無事到着するまで?父にはあちらの世界で待ってもらうというかな・・・なんて、考えた。


霊供膳は母の好きだったものを、食事制限無しで供えてる^^
噛むとパリパリと音がしそうなたくあんも、やっぱり食べにくいだろうと、千切りにしちゃった^^;
塩分なんて気にしない。
ちょっと味を濃い目にした炊き込みご飯も(母はちょっとこげたところが好きだったからね)山盛りに盛った。
そんなに食べられないよ。って言うかな・・・


母の部屋にある大きな日めくり、母が入院した6月7日のまま。
今朝、それを一枚一枚めくった。その日その日が思い出される。
ゆっくりゆっくり丁寧に一日をめくった。。。


そういえば・・・あれから家族みんなでいろんなことをこなして来たけれど、休日返上だったことを思い出した(当たり前なんだけどね)だから・・・みんなちょっと疲れ気味。
昨日もそれぞれ仕事があったし、私はず〜っと休んでいた地域の草取りに。
朝起きてきた家族の顔が・・・なんか疲れてる。
そうだよね・・・
まあ人生そんな時もあるさ、なんてはっぱをかけたけれど、今日はなんか美味しいもん作ろう^^

7/5 錯覚
母がいなくなって・・・2週間ほどがたちました。
2週間しかたっていないのに。。。
随分日が経ったような気がします。

頭で理解できていてもどうも体が付いてこないことがあります^^;
錯覚してしまうことが・・・

錯覚その1
朝起きて母の部屋を一番にのぞこうとしてしまう・・・

錯覚その2
霊供膳を作っているのに、なぜか柔らかい飲み込みのよさそうなものを考えてしまう・・・

錯覚その3
玄関の段差をなくすためにスロープが作ってあったのを、母が亡くなってすぐ、人の出入りに邪魔だからと大工さんにはずしてもらった。それが・・・
頭で理解していてもスロープを歩く癖が抜けない。。。一段踏み外しそうになる・・・
仕方がないから、スロープのあったところに椅子を置いた。これでスロープのないことが明確になった。

錯覚その4
先日、母がお世話になっていた施設に挨拶に出かけた。
今の私は時間が自由になるのに、なぜか火曜日を選んでしまった・・・この日はデイが長く一番出かけやすかったから。曜日なんて選ばなくても良いのに・・・

錯覚その5
買い物は午前中にしか出かけられないと思い込んでしまう・・・

こんな錯覚はしばらく続くのでしょうね・・・
悲しいとか、辛いとか、そういう感情とは違って・・・
家の中の空気がなんとも不自然な感じがしています。そこにいた人がいなくなってしまったのですから、当たり前なのですが・・・
この不自然さがなくなるのには、やっぱり日にちが過ぎること、しかないのでしょうね。。。

今朝、我が家の前を救急車が走り抜けていきました。その直後、ヘリコプターの旋回する音。
庭に出てみると、超低空飛行。ドクターという字も読めました。その後近くの運動場に着陸したようでしたが、鳥肌が立ちました。
母もそんな経験一歩前のことがありましたから・・・意識が回復してそのときは難を免れましたが、その時の事が一瞬のうちに思い出されました。
何事もなければよいのにと思わず手を合わせてしまいました。


錯覚とは少し違いますが、どうも時間配分がうまく出来ないでいます。
無駄な動きばかりしているんです。
でも〜昨日と今日の暑さで必要な動きまでストップしてしまいました(笑)
暑い・・・ホント〜〜に暑かった^^;



6月18日(水)の夕方、母はあちらの世界に旅立って行きました。

透析を始めて7年8ヶ月、85歳の生涯を閉じました。
まるで潮が引いていくように、穏やかな最後でした。

母が入院してから、私は一人になると、母のベッドサイドで母に思い出話をしていました。
小学校の入学式のこと(幼稚園に行っていなかったので大勢の友達にびっくりしたこと)、学芸会で良寛さんになったこと(丸坊主のかつらがいやでね〜)、薪で炊いていたお風呂を水浸しにして、こっぴどく、叱られたこと、父兄参観日に母がスクーターでやってきて、みんなの注目の的になったこと、中学では反抗的だった私が高校生のとき、入院した父の付き添いをするようになってすっかり頼りにされるがわになってしまったこと、など等、話は付きませんでした。
母の目はなかなか開きませんでしたが、じっと聞いていてくれるように思いました。
私と母の58年間の思い出話でした。

謝っていなかった昔昔のこともこの際だと思って、謝っておきました^^;
そして・・・母が居たからこそ今の私が居ることを感謝して・・・
「ありがとう・・・」と言ったとたん、涙があふれてきました。
なかなか涙が止まりませんでした。


介護と言う大きな荷物も介護職の方やネットのお仲間に大方を担いでもらいました。
この時代に生きていればこその介護だったと思っています。

母と私を支えてくださった皆様に感謝申し上げます。本当に有難うございました。




6/16
7日に入院して10日が経ちました。
もともとがお丈夫なんでしょうね。と、ドクターに言っていただくほど。
数値的には肺にも酸素が届いているようですし、むくみも見た目にはありません、このまま回復するのではと錯覚をしそう。。。ですが・・・
呼びかけへの反応は少しずつダウンしています。

母への医療行為は酸素吸入と500_の生理食塩水?の点滴だけですが・・・
母の寝息は穏やかです。

透析で忙しかった毎日と比べるとなんと静かな日かと・・・
私もぼ〜っと付き添っています。
実は夜の付き添いを・・・考えた末にやめています。
したほうが良いのかな〜と思って見ましたが、夜の付き添いがとても疲れるのは経験上わかっていますし・・・自分に余力を残すことにしました。
あ〜してやりたい、こ〜してやりたいと言う気持ちもなく・・・私も自然にしていられます。

私と母は大勢の人たちに支えられて今までを過ごしてきました。今もまた医療者のみなさんに支えていただいて穏やかに過ごせています。
感謝の気持ちでいっぱいです。

6/11
月曜日の透析は結局受けませんでした・・・透析はしないことにしました。
もう迷いはありません。多分、母もそう望んでいると思います。

母も私も穏やかに過ごせています.
母は今日、シャンプーまでしていただいたんですよ。

掲示板へお返事が出来ませんがお許しください。


6/8 終末・・・
今、母はとても厳しい状態になってしまいました。
金曜日に透析クリニックに入院したのですが、土曜日状態が悪くなりそのまま総合病院に転院をしました。

母の終末のことはいつも私の心に引っかかっていました。母が透析が出来なくなったとき、それは自然にやってくるのですが・・・もし中断する決断を私がしなくてはならないときが来たら・・・私はそれに耐えられるだろうか・・・決断してきた人たちの苦しみを聞くに付け、胸の痛くなる思いをしていました。

それが・・・私にも突然やってきました。
実はここにこのことを書こうか、迷いました。でも自分の気持ちに踏ん切りをつけるために書き込むことにしました。

土曜日・・・母は突然のように血圧が下がり、総合病院に運ばれましたが、透析はこれ以上できないだろうと誰もが思える状態にまでなってしまいました。家族を集めました。
ドクターの説明は冷静に聞けても、涙はあふれてしまいました。
仕方がない・・・

でも、一日経った母は血圧も上昇してきて、もしやまだ透析が出来るのではと私は思ってしまったのです。そんなことを頭の片隅に止めていた頃・・・
ドクターから確認をされたのです。ちょうど妹夫婦うちの家族と揃っていたときです。
私は透析の中断の判断をするのが自然の成り行きと思っていても、それについてなかなか話すことが出来ませんでした。自分の気持ちの重さからなのですが・・・重圧で胸がはちきれそうでした。
少し時間をいただいて、話し合いました。
母には苦しませるような行為はしたくない。
でも、もしかしてできるかもしれない透析を中断するのは、母の気持ちに沿うものだろうか。
そして中断すると決めた気持ちの言いようのない重さ・・・
その時・・・夫から私に中断を決断したことの気持ちの重さを引きずらせてはいけないじゃないのか。母が透析に耐えられるかどうか透析をしたほうがいいのでは・・・その方が私のためにも良いと。
妹夫婦も、そのほうが自然な成り行きなのではと。。。言ってくれました。

その後ドクターに入ってもらいそのことを話すと・・・
母の状態で今まで透析をしてきたことが不思議なくらいだとおっしゃった。
私は母に辛いことや苦しみは避けたいこと、無駄に延命もしたくないことを告げ、中断することを家族が判断することはとても辛いことを話させてもらった。
出来ればドクターに判断して欲しいと。
若いドクターでしたが明日、他のドクターと話し、判断させてもらいます。と言ってくれた。明日、いつもの透析がある日。。。
受けれるか、受けられないか分からないけれど全ての判断をドクターに任せることにしました。
そして今日の母は・・・土曜日にあった38度を越す熱も7度まで下がり、静かに眠っています。
私たちの呼びかけに時々目を開け、キョロキョロしています。
母と私たちの穏やかな時間です。


6/5 風邪?
透析もデイもお休みの今日は朝のスタートが遅い^^;
ゆ〜っくり自分の朝食をすませてからの母の朝食の準備にかかる。今日は雨だし・・・
こういう日もいいよね。なんて思っていたら、ありゃりゃ、母が熱っぽい。

37.5度。特別に高くはないけれど、母にはちょっと高め。
昨夕はしっかり食事も摂れて、安心していたのに。。。
少し喉もごろごろいうし、目も開けない・・・
脇と首側を冷やし、朝食にする・・・でも、食べれないよね〜・・・
カロリーメイト少々ととろみつきのお茶が二口^^;いたし方がない。

昼食はアイスクリームにしてみた。熱っぽいしね。
二分の一カップ、食べることが出来た^^
夕食は残りのアイスクリーム。一日にひと箱のアイスを食べたことになる。水分を補給したいんだけど、口をつぐんじゃうし。後は眠ってばかり・・・

入浴介助をお断りして・・・母はひたすら眠っています。

夕方には36.8度、これが上がるのか下がるのか・・・分からないけれど、このまま朝まで様子を見ることにした。明日は透析だしね、クリニックで診ていただこう。


5/28 インシュリンを中止
母がインシュリンを注射し始めて・・・何年になるだろう。
高血糖になったり低血糖になったり、その都度随分慌てさせてくれた。

食事が取れなくなって、食事前のインシュリン注射が怖くて仕方がなかった。今日は食べられるだろうと思って、注射しても一向に食べてくれない。低血糖が怖いから(本人に自覚がないからね^^;)食べさせるのに躍起になった。
「低血糖になっちゃうよ〜〜!!」って。
形相も変わっていたんじゃないかと思う^^;

それが食後の注射でもいいことになって・・・
と言うか、そう出来ませんか、ってお願いをしてしまった。それが三年前かな。
食後の注射で対応できるかどうか、それがいいかどうかなんて分からなかったけれど、そうでもしなかったら、わたしが参ってしまいそうだったから。
そんな具合で朝、昼、夕、透析日、非透析日、食事前の血糖値によってインシュリン量を変えて注射をしてきた。デイサービスでは昼食後の注射はなし。朝と夕、私が管理することでなんとかなると思ったから。実際それでOKだった。
でも、ショートはそうはいかないから、事細かに血糖値と食事量、インシュリン量の管理をお願いした。食事をあまり食べられなくなってからはインシュリンの量を少なくしてもらい、対応していただいていたのですが・・・

母の食事前の血糖値は朝が150ぐらい、夕食前が170ぐらい(透析日は昼食をほとんど食べないし、デイでも注射をしないから、結果的には昼のインシュリンはほとんど打たない)
それも、このところ食事が食べられても半分量なので一日注射しない日が続いていた。
と言うことは・・・インシュリンを注射しなくてもいいんじゃないかな^^?なんて、素朴な疑問を持ってしまった。(逆に言えば、中止しようがしまいが食べられなかったら、注射しないんだから同じなんだけどね^^;)
月曜日の透析後、昼食がだいぶ食べられたと言うことで、昼食後にインシュリンを注射してもらった。ところがその夕方、血糖値を計ると65しかない。
母の様子はと言えばキョロキョロしているだけ・・・低血糖なのかどうかの判断は出来なかったけれど、数値的にはしっかり低血糖^^;
慌てて食べさせる、飲ませる。意外に良く食べ飲んでくれて、安心したのだけれど・・・
インシュリン注射は食べられたけれどその日は中止した。
その出来事があったり、他のこともお聞きしたかったので、透析クリニックへ相談に出かけた。

私の考えでは、もうインシュリンはなしにしたい。
でも、ドクターは超持続性の新しいインシュリンが出ていること、それは低血糖になりにくいということを説明して下さって、変更しようと言ってくださったのだけれど。
私、お断りしちゃった^^;
で、一応中止にしてまた血糖値があがるようなら再開ということに、そのときにはその超持続性のインシュリンに変更しようということになった。もちろん、血糖値は計ると言うことで^^

それと
錠剤を潰して処方してもらってた薬の、ほんの少しの粒々感が母には気になるらしく、どうも飲み込みが悪い。それも細粒のものに変更してもらった。今まで細粒?粉はないと思い込んでいたので、もう少し早く言えばよかったと後悔^^;

それと〜
母のわき腹に塊があるような・・・とデイから報告があった。
へ〜〜っていうんで調べてみると・・・確かに、ある。。。右側に、と書いてあったけれどよく見ると左側にもそれらしきものがある。大きな弾力性がある塊^^;
オムツをつけたときの上側に・・・見た目にはその上に脂肪が載っているって感じなのだが。
これも相談してみた。
だけど〜調べても仕方がないかな、ってことになった^^;
特に悪そうには見えないけど・・・もし悪いものだとしても治療をするかどうかと言われれば、まあ痛くなければ良しだと思っているので、ドクターに話したことで、「よし」とする(笑)

それに〜〜
透析中の点滴(栄養補給)について、改めて聞いてみた。
点滴で栄養補給は出来るけれど、透析をすることによってほぼ抜けてしまうらしい^^;
それに入れることによって血糖値は一気に上がるそうだ。
すると、体のバランスが崩れる。。。入れるほどの効果はないらしい。
半分量でも食べられていれば、そのほうが良いのでは、と。
透析をしている人の中にも胃ロウをしている人がいると言うこともお聞きしたが、ドクターはあまり勧められなかった・・・
この件はこれからずっと悩むことになるだろうと思う。。。

久しぶりにドクターと話をしてすっきりしたり、・・・だったり。。。
その都度考えるしかなさそうです。



5/15 母のカット
昨年の11月にカットしてもらって以来、ずっとそのままでした^^;暖かくなる3月を次の予定にしていたのですが・・・忙しかった私の予定や、母の体調から延び延びになって^^;
一時暑かったときには、仕方がなく私が少し切っていました^^

カットをお願いする日は火曜日か木曜日。
このところ木曜日は一週おきに通院。
で、急遽今日、出張理美容に来ていただくことにしました。一ヶ月に一度は美容院に行っていた母だから嬉しいはずだけど、今は顔には表れない・・・
でも、午前中ずっと目を開けていたしね^^やっぱり嬉しかったに違いない。
それに・・・こざっぱりなった母を見て私も嬉しい。

終わりに美容師さんが大きな鏡を出してくれた。
「自分の顔を鏡に映すのって、いいらしいですよ」って教えてくれた。
そうだわ・・・母に鏡なんてこの頃見せたことがない^^;
母、鏡をじっと見ていました(笑)このふけ顔、誰じゃい・・・って思ったかどうかは別として。刺激になるかもしれない。
そういえばどこかのおばあちゃんは鏡をのぞくのが好きって言っていたのを思い出した(笑)


5/11 W母の日
今日は母の日^^
私の母と娘達の母、つまり私と母はそれぞれ子供がいると言うことで・・・
我が家はW母の日でした。(笑)
娘達が買ってきた持ち帰りのお寿司で日ごろの感謝をしてもらった(笑)
じゃあ私もと言うことで母に夏用にTシャツを一枚奮発^^

デイサービスから帰った母にこそっと、囁いてみた。
「今日はお寿司だよ〜!」
むふふと顔が笑った。
いつものお粥に寒天をまぜいつものお粥寿司。
代わり映えはしないけれど、お寿司はお寿司^^

3個作ってみたけれどあっさり完食^^
それで二つ追加^^ これも食べられた。
やっぱりお寿司には食欲の神様が付いているみたい。

         
最初はホタテの貝柱を2個とトロが1個。
写真に撮るのを忘れちゃってね。これは追加のカニとマグロ。




5/4 補足
自分で書いて後で読み返すと、これはちょっとわかりにくいかな、なんて思うことがありましたのでちょっと補足させていただきますね。どうも表現力がなくって^^;
^^
母が今回していただいたPTAというのは人工血管の閉塞が予想されるところをバルーン付きのカテーテルを使って血管を拡張・修復させる、というものです。
時間としては一時間ほどで終わるようです。
局所麻酔なのですが、母にはこれがネックとなっています。
母自身が何をされているのか理解できないので、痛さや押さえられていることが記憶に残って、母の顔つきが変わってしまうことがしばしばあります。
押さえられることがより不安にさせるのではないかと思っているのですが。押さえればアオタン(皮下内出血)にもなりますし・・・見た目にも医療者の方の大変さが伝わってくるんです。
実は今回、そういうことがありませんでした。ループ状になった人工血管の部分も掃除?してもらったみたいで、ごつごつしていたその部分が少し柔らかくなっていました(手で確認できるんですよ)ホントウにすっきりした手でした^^

いつもは朝から始まる透析なのですが、PTAがある日は午後から。
そして透析もPTAが終わり次第、夜間にかけてします。今回の母の場合は16時から透析が始まりましたから透析終了は20時。母の止血は30分かかりました(なかなか止まらないんです・・・)その間看護士さんが手で押さえてくれているんですよ。
それから、夕食。
今回は私が作った甘酒のゼリーとカロリーメイト。手抜きですが、いつも食事らしい食事が摂れないので、こんなものでごまかしです^^;
その間に止血の確認が出来るので、ようやく帰宅。22時を回っていました。

自宅に帰った母は多分痛さのせいだと思うのですが、機嫌はあまり良くはありませんでした。が、食べるものが食べられ、出るものも出ましたので、まあこれなら行けるかなというわけで、いつもの老健へショートに行きました^^無理やり出しちゃった感もあるのですが(苦笑)
何年か前の私だったら、多分心配して行かせなかったかな。
気持ちの変化?というか。。。
吹っ切れちゃってるというか。。。
はたまた慣れというか。。。
介護をすり抜けている自分を発見しています(笑)

5/2 無事終了!
5日にする予定だったPTAですが、ドクターから早くしたらどうかと言う申し出があって、急遽、今日することになりました。
そして・・・

無事終了しましたぁ〜^^
PTA後の透析で血圧低下を起こしたようですが、顔つきは悪くはありません。
夕食を食べさせているときは、機嫌が悪そうでしたが(笑)←機嫌が悪いのは意外に調子が良いことが多くって^^
腕もなんかすっきりしているし^^
あ〜〜〜よかった〜♪
ほっとしました。

透析後の食事も少し食べることが出来ました。(甘酒のゼリー100t、カロリーメイトゼリー50t位、両方で150kcalというところかな)
そして帰宅してから・・・夫が買っておいてくれた340kcalもあるムース@@もぺろりと食べてしまいました(笑)って言うことは490kcalも食べたことになる^^;
あっ!インシュリン打ってない。。。^^;;って、ばあちゃん、いびきかいて寝てるし(笑)
まあいいっか^^;

ヒヤヒヤどきどきはまだまだ続くと言うことになりそうですが、連休は落ち着いて過ごせそうです^^

実は今日、父の命日なんです。
5月2日に決まったとき、複雑な気持ちになってしまってね^^;
まあ、早いことに越したことはないんだからと思いながら、ちょっと心配する自分もいたりして。
父が守っていてくれたのかな、なんて今は思っています。
好物だった散らし寿司をお供えして、感謝の報告をしておきました^^



4/28 PTA(けい皮的血管形成術)
簡単に言うと、血管を拡張することなんです。
またまたすることになりました^^;
昨年の8月に3個目のステントを入れたのですが、また狭窄してきたようで。。。
長くもって欲しいと思っていたのですが。
シャント音も小さくなっていることも解っていました。
4個目はないと思っているし、次の手立ては首から・・・と聞いていますので、少々緊張しています。私がです^^;
それにドクターも知らないかただし・・・
この先、どんな対処の仕方が良いのか、選ばなければならないことが出てきそうで気が重いです。
拡張がうまくいけば何の問題もないのですが・・・母の血管、素直じゃないんですよね、って言ったら母が怒るかな(笑)血管のせいで私のせいじゃないってね^^;

実はこの連絡が入ったのは外出先でして^^;
一瞬固まってしまいましたが、早急という事ではなかったので、まずは一安心。
5月5日にするということが決まりました。

で・・・母は3日から5日までショートなんです^^;
正確には5日の朝には透析クリニックに行くので時間的には問題ないのですが〜行かせていいものかな。なんて考えています。
連休がばっちり母のショート!になって大喜びしていたんですが・・・
出鼻をくじかれてしまいました(笑)
何事も期待するな、という事でしょうか。。。

血圧が高いことを除けば、食欲もだいぶ戻ってきたし、飲み込みもスムーズになってきたのでちょっと気が楽になったところだったんですがね(苦笑)
そうは問屋がおろさないようです^^;


4/24 再診
先々週も雨だったよな〜なんて思いながらの今日の通院。
今日はスムーズに事が運び、薬もなかったから10時には病院を出ることが出来た。
でも〜
介護タクシーをすぐ呼ばずに^^病院の中にあるレストランに行ってみた。
気にはなっていたけれど、余裕も時間もないからいつも素通り。小奇麗なレストランだとは思っていたんだけど、○鉄ホテルのレストランなんだって。へ〜〜っ!って思いながら母を誘ってみた。「おばあちゃん、ケーキでも食べてく?」
返事があるとは思っていないけれど、ちょっとした私のいい訳にね(笑)
でも、かすかにうなずいて、にって笑った^^

8時に出かけるからどうしても朝食に時間がかけられない。
忙しいとなおさら、口がおちょぼ口になって、今朝も3割程度。インシュリンも打たずに出かけてきた。そんな状態だから、おなかが空いていたんでしょうね。
母の食べられそうなプリンアラモードを注文する。
でも飲み物にとろみの付いたものはないから・・・それだけにした。
柔らかそうなリゾット風なものがあればそれで昼食も兼ねることが出来ると思ったけれど、普通のレストランのメニュー。病院だからちょっと消化のよさそうなものがあるといいのにね〜・・・?そう言えば・・・レストランだけどうどんがあったから・・・そのためかな。

出てきたプリンアラモード!
       
プリンの下にしっとりしたチョコレートカステラが敷かれていた。母にぴったり^^
もちろん、完食!
自宅に帰って、スープに浸したパンも平らげた。久々の食欲^^
夕食前の血糖値、こちらも久々に300を超えていた(笑)


4/10 入浴全介助
母の入浴介助は母が骨折してからずっとお願いしている。かれこれ5年が経つ。
メンバーは最初4人ぐらいが交代できていてくれて、この頃は二人の方が交代で来てくれている。今回、会社の中の移動で一人が入れ替わることになった。
今日は新しい方も加わっての母の入浴となった。

入浴介助に来てもらう前は、一年ほどシャワーだけで過ごしていたことがある。

一人でお風呂に入れておけない・・・湯船からなかなか出てこない。も少し入っているからと言うものの出る気配がない。そんなこんなで、仕方がないから、背中を流すと理由をつけながら私が一緒にお風呂に入るようになる。
そして解ったのは自分では何にも出来ないでいる母でした。頭も洗っていると言うのに、お湯をかけるだけ。。。シャンプーをつけてそのままだったりとか。。。今考えると、何をして良いか解らなくなっていたんだろうと思います・・・ひとつひとつ丁寧に教えてあげるべきだったと、ちょっと反省はしていますがぁ〜そんな余裕はなかったんです^^;
ですが、じゃあ頭を洗ってあげると言うと、洗い方が悪いと文句言うし^^;お風呂に入れることだけで疲れはてていました。ですからデイに行き始めてからはシャワーだけにしてしまったんです。


それが内風呂に入れるようになって、母がとっても喜んだ。
「そりゃ〜家のお風呂がいいわよ〜」って^^まだしゃべれたしね。
そんな母だけど、お風呂に入れるのは大変だった。不安もあったのだろうけれど、安全のためにつけた手すりを握ったら離さない。やたらにそこら辺りを掴む。その力の強さは並ではなかった(苦笑)ヘルパーさんと二人係りで声かけしながら、握った手を離してもらうのに躍起になったこともあった^^;
そんな大変な時期を共有してきたヘルパーさんとは新しい方への連絡事項も思い出話になってしまう(笑)

大変な時期をお世話してくれた方は今は楽だよ、って言うけれど、新しく入る方は狭い内風呂に入れるのは大変だろうと思う。入浴介助ではなく入浴全介助^^;
今の母の状態で内風呂に入れてもらっているのが不思議なくらい。
ヘルパーさんにも無理はして欲しくないので、訪問入浴に切り替えることも出来ることを話しておいた。私は5年前に内風呂に入れることを諦めたんだもの。

母も私もいろんな人のお世話になりながら、生活をしている。
改めて実感です。

4/8 慢性膀胱炎
母の血尿の原因は慢性膀胱炎なのだそうだ。
透析していて無尿の母が?って思っていたのだけれど、ドクターの説明によると。
無尿と言っても10ccとか微量の尿はあるそうで。膀胱に溜まった少量の尿に細菌が感染すると膀胱の中は細菌にとって、とてもよい環境になるんだって^^;
まあそうだね。一日何回も流される心配もなく^^;そこに留まっているんだから。
そう言えば、膀胱炎になったらお水をいっぱい飲むといいよ、とかビールがいいんだよ。なんて声もきいた事がある(笑)
流したくても流せない母の膀胱は・・・細菌が蔓延していたのだろう。
朝の平熱がいつもなら35,7度ぐらいのが、ここのところ36台になっている。
やはり、微熱なのかな。
中に巣くっていた細菌はそんなに悪いものではないらしいということなので、違うタイプの?抗生剤が処方された。もちろん細粒。

先月からの血尿のアト・・・透析クリニックで透析後に膀胱洗浄をしていただいていた。
最初は機嫌の悪そうだった母も終了した先週には慣れたのか、その後の食事が摂れた。
終了して1週間たった訳だけど、今日の導尿ではやはり膿が出た。

この膀胱炎はそう簡単に完治しない。。。
透析している人にはよくあること。。。
より細かな検査(と言っても尿の検査で)をする。
二週間後の診察になった。

朝8時に自宅を出て帰ってきたら、午後1時だった。
昼食を食べて、母を寝かせ、自分もごろりと横になった・・・窓から見える桜が葉桜になっていた(笑)
そう・・・出かけたときはすごい雨だったのよね〜
介護タクシーだから有難かったけれど、一人でやっていたら半べそだ^^;
帰ってきたときは雨もやんでいたし・・・空も明るくなっていた^^


3/31 母の食べたい気持ち
週末、娘の高校時代の同級生が我が家にやってきた。花見がてらのプチ同窓会。
高校生だった頃、私が作った五平餅を食べて美味しかったと、褒めてくれた^^ならばぁ〜とおばさんは張り切って作ったのであります(笑)

たくさん焼いた五平餅、母にも食べさせてみようと思いついた。(舐めるだけでもいいやぐらいに考えていたんです)
ここのところ、すっかり柔らか食モード。飲み込みも悪くなって・・・改めて、今まではまだ良く飲み込めていたことを実感しているのだけれど・・・食べる量もホントウに少なくなった。だから、どうしても高カロリーに偏って。
ちょっとマンネリでこちらも疲れ気味。
そんなときのお助け神様になれるか?


         


ちょっとボケておりますが^^;
母の食べたい気持ち、炸裂!
私もびっくりしました。自分から大きな口を開けたんですから〜こんなこともあろうかとデジカメは用意しましたが、ぶれぶれ(笑)私のほうが動揺してしまいました(爆)

ですが・・・いくら柔らかく焼いてあるとはいえ、五平餅です。
半分ぐらい(半分食べたこともすごいんですが〜)食べたところで、うぐっ・・・
危険を感じてこの先は、おかゆに味噌がけ、に切り替えました。(その後はほとんど食べませんでした^^;)

母の気持ちの中にはまだまだ食べたいものがあるのかもしれません。
気持ちとは裏腹に飲み込む力は・・・下降線。。。
カロリーにこだわらないで、母が好きなもの、母が食べたそうなものを探してみよう、と思ったのでした。


3/11 血尿?その後のその後
三日間の抗生剤を飲み終わって母はショートに出かけた。食事量が少なくインシュリンも打たなかったりしたようだけれど、月曜日の透析後は元気に^^?帰ってきた。

食事量が少ないときは、透析も引くものが少ないし、透析時間は同じだからこういうときの母はしっかりしている。だからと言って、しゃべるわけではないけれど・・・顔つきがしっかりしているんです^^

そして今朝・・・デイサービスの時間に合わせて仕度をすると・・・またオムツが汚れている。。。う〜〜ん、どこから出ているんだろう^^;
とにかく、デイは休みとした。
血尿ではなく、もしかしたらオリモノ?か。。。こういうときのお助け神様、訪問看護ステーションに電話をする。すると、透析クリニックと連絡を取ってくれ、総合病院の産婦人科に急遽予約を入れてくれた。それも今日の午後。明日は透析だし、有難い!って思った。訪問看護さま様だわ^^

病院に着くと時間を見計らって看護士さんが来てくださった。ここにかかるのは初めてで、私もちょっと不安だしね〜だってあの診察台に母を乗せられるかと^^;;それを思うだけでもね。
でも今のはよく出来てる。車椅子の移乗が出来れば、なんとかOK。
看護士さん三人係でしたけどね^^;

結局、出血はしていないとのこと。オリモノがあるから感染症かもしれないということで膣錠を処方してくれた。
では、あの出血はやはり膀胱なのかな。またまたこのまま様子見となりそうです。

ところで、今日の母、すこぶる調子が良いんです^^
私の心配なんてどこ吹く風^^;きれいな病院だね〜って言う私に「うん」ってうなずくし(笑)帰り際、焼き立てパン(病院の中にあるんです)を買って帰ろうかというと、またまた「うん」ってうなづいた。(桜餅パンというのを買ったのですが、夕食にぺろりといただきました)外も一気に春だし〜母の気持ちも軽やかになったみたい(笑)


3/5 血尿?その後
血尿なのか婦人科系なのか・・・はっきりしないのだけれど、膀胱洗浄をして感染症の検査をしていただくことになった。結果はまだ出ていないけれど、抗生剤を出していただく。
でも〜母は錠剤は飲めない。。。
そこで、ドクターが子供用の抗生剤を処方してくれることになった。もちろん子供用が透析クリニックにあるはずがなく^^;
院外処方で対処してくださった。こういうのってとっても有難い。その病院に全ての薬があるわけではないので、「ないです〜・・・」ってことになる事だってあるわけだから。
検査結果待ちだけれど、その結果によっては婦人科受診、と言うことも。
どちらにしても抗生剤だけで何とかならないものかしら。

じつは母のクリニックが新しくなった^^
やったね^^と小躍り(笑)
ずいぶん立派になった。
願わくば・・・ショート代わりの入院が出来ますように。。。(願)
時期を見て聞いてみよう。


3/4 血尿?
母は無尿のはずなのに今日またオムツが汚れていた。それも異臭がする。
先週の金曜日にも出ていたのだけれど、その後はなかった。透析クリニックにはノートで報告しておいたのだけれど、
「血尿?・・・熱に注意して様子を見てください」と連絡帳に書かれていた。
そっか・・・熱が出たら感染だよね〜〜^^;
尿が出なくても膀胱炎ってあるらしいけれど・・・どうなのかな。
オリモノ?なのかなぁ〜・・・
今のところ熱はないし、他の症状は特にない。時々血圧は高くなるけれどね。
食事も全体量は少なくなっているけれど、何とか食べられているし、表情も悪そうではない。

明日はクリニックに行って直接聞いてみよう。


2/17 血圧
母は透析をする前から血圧が高かった。だから今も血圧は高め。
なのに、透析中は血圧が一気に下がってひやりとさせられる。
透析中の血圧低下を考えて少しぐらい高くても血圧降下剤は飲んでいない。母も血圧が高いといっても、しんどそうにはしていないし・・・(190前後あるんだけどね^^;)
ところが先週ショート中に血圧が200を超え久しぶりに降下剤を飲んだ。

土曜日は母の休日^^
朝食も昼食も普通に食べられて、様子も変わらなかったのに・・・夕食前の血圧が200を超えた^^;痰も絡むし・・・食事も取れない。。。
血圧降下剤を半分飲ませたけれどいっこうに効かない。母の顔もどことなく赤い。熱でもあるのかと体温を測るけれど、36.2度と平熱。
夜11時、残りの半分を飲ませる。すると一時間ほどで呼吸も少し楽そうになってきて・・・寝息を立てて寝た。

17日デイがあったけれどお休みにする。
母の調子はよさそうで血圧も160台まで下がっていた。食事も食べられたんだけど・・・
火曜日にどうしてもデイに行ってもらいたいことがあって^^;
今日は「体調整えディ」とすることに(笑)血圧が下がるとまったく普通になってしまう母なんだけど・・・夕方にはまた血圧が上がってしまった。トホホ。。。
血圧が上がるとなぜか痰まで絡むんですよね〜
体温は平熱なんだけど・・・
今日は出かけなくって正解だった。

夕食代わりに甘酒を200ccほど飲んだ。
他のものは食べられなかったけれど、好物の甘酒は別口みたい^^明日も食べられなかったら、これにしよう^^お米の水だしね^^?「お米の水」と言うときはお酒かな(笑)

実は・・・シャント音がこの頃小さくなっている。
ステントが三個も入っているんだけど、4個目はないだろうな〜・・・どうなるんだろう。。。
気が重いけれど、私がじたばたしても仕方がない。
ドクターの判断に任せるしかない。。。
またしばらく気が重い日が続きそうだわ。


2/4 便秘
ここのところずっと便通は一週間に三回、定期的にありました。
透析後、夕食前に摘便、と言うパターンだったのですが。
下まで降りていない状態が続きこれは何か手立てを考えなくてはと思い始めた。

母はどうしても水分制限をするから便秘になりやすいんだけど・・・
それに野菜もカリウムが多いのでどうしても少なめになってしまう・・・
食事も八割がたは食べているし・・・
そのまま体重が増えても困る。。。
下剤を飲ませたいのだけれど・・・透析中に出るのはなるべく控えたい。普通の方たちの中で透析をしているからね〜どうしても臭う。気の毒で。。。
で、透析、デイの休みの木曜日にまたがるように、水曜日の透析後にグリセリンの浣腸をする(以前に処方をしてもらっていたもの)・・・水曜日も木曜日も効果なし^^;
これで透析中に出たら・・・と気が重くなったけれどいたし方がない。。。

これと平行して食事で努力!
サツマイモ、ヨーグルト、おなかの調子が?というか出やすくなるものを考える^^
軟飯には粉寒天もかけてみた。一日2グラムをめどに・・・朝夕1gずつ(というか2g入りの小袋でしたから半分ずつと言うことで)

これが功をなしたかどうか・・・金曜日の朝、ようやく^^出ました〜9日目です。
その日は帰ってきても出ましたから、母もすっきり^^
管理ノート(血圧、血糖値、体温、便の有無が記入されています)には二重丸を付けておきました(笑)

粉寒天の箱に食べ過ぎるとおなかが緩くなることがありますと書いてありました^^
粉寒天2gで食物繊維1.6g・・・これが多いかどうかよくわからないけれど。。。
これは良いかもです^^


1/25 プラスモイスト
これは母が低温火傷したとき表皮剥離をした時に使ったZNCと同じもので、被覆材です。
浸出液がいっぱい出るような傷(擦り傷など)や軽いやけどにとてもいいと思います。もちろんジョクソウも^^
ラップだとグチュグチュになったけれど、吸収してくれます。
今回、娘がちょっとした火傷をしまして・・・
このくらいならと言うことで今使っているんです。ただいまがうら娘2、体験中です(笑)
ZNCとして買ったときよりも薄くなって、柔らかな感じもします。

宣伝して欲しいと言われたわけでもないけれど(笑)調剤薬局で取り寄せができるようになっていたので、紹介しておきますね^^

私が取り寄せたのは「プラスモイストP(「新しい創傷治療」のなかからリンクさせていただきました)未滅菌のタイプ(私達が買えるのはこのタイプだけのようです)調剤薬局で注文したら、薬剤師さんはご存知ありませんでしたが、二日で取り寄せていただきました。125mm×125mm 3枚入って1050円・・・ちょっと高いかな^^;娘は小さく切って使っております(笑)

1/23 
8時40分には透析に出かけられるようにいつも準備をする。だいたい9時少し前のお迎えだから。逆算して・・・7時ちょっとすぎから母の仕度を始める。
この頃はこの時間で準備が出来ていた。ところが・・・

顔を拭くときに声賭けをすると目を覚ますのに目を開けない^^;
もうそのままで顔拭きやらオシモ・・・血圧、血糖、体温と予定どうり。
入れ歯をはめて(こういうときはなかなかはまらなくてね〜〜^^;)食事となったのに・・・
ぎゅっと目を瞑ったまま。。。食べない。ここしばらく調子よく食べていたのに。
しばらく時間を空けてみたものの、出かける時間が近づいちゃう^^;
仕方がない、食事は中止して連絡帳に書き込む。
「食べていません、インシュリンも打っていません」って。
それから大急ぎで車椅子に移乗し、靴下、上靴?ベストを着せ、ダウンの上着も着せ〜安全ベルトをする。そこで、ユーパッチ(痛み止めのシール)を張り忘れたことに気がつく^^;;
腕をまくろうとするとこれがね〜大変で。
何とか仕度が出来・・・ちょっと声をかけたら、バチッと目が覚めた(笑)
思わず「ご飯食べる?」と聞いたら、ニコッと笑う。。。
時計の針とにらめっこで食事をさせると、食べるじゃない。。。
もう〜〜と思うけれど仕方がないから8時50分まで食べさせた(笑)
ほっとしたとたん、『連絡帳の変更!、半分ぐらい食べたからインシュリン!わっ、入れ歯も洗わなくっちゃ!』

送り出したとたん、一気に疲れた^^;

疲れても送迎をヘルパーさんがしてくれるから、ここで一息つけるんだけど。自分でしていたらここから車を出して〜母を一生懸命乗せて〜とまだまだ続くわけで。。。
感謝せずにはいられない。
コーヒーを飲みながらコタツに入るとムックが急いで膝に入ってきた。
今日は寒いんだと気がつく(笑)
ホットな朝でした^^

母は単なる眠かっただけか、夕食はしっかり食べることが出来ました。



1/16 介護サービス情報の公表
介護者の集まりに出かけてきました。
そこでこんな情報をいただいた。

介護サービスの情報の公表
都道府県内の介護サービス事業所・施設が、サービスの内容及び運営状況に関する情報を公表しています。
公表情報は、事業所・施設ごとに、基本情報調査情報があります。
  (調査情報は、都道府県が、事実確認調査をおこなった情報です。)
利用されるかたが、この情報などにもとづいて、より良いサービスの選択にお役立ててください。

というもの。
ネットで見ることが出来ます。
私は知らなかったのですが、こんなものがあったんですね〜
太字の部分+自分の県名を足して検索すると出てきました。
ここから見えてくるものもありますし、実際に行ってみないとわからないこともあるでしょうからこれだけで判断すると言うのは難しいでしょうが。取り掛かるときの情報としては有難いと思いました。

比べてみるといいかもしれませんね。
おかげで私は目が疲れてしまいましたぁ(笑)


1/14 今日の母
ここのところ母はすっかり落ち着いている。で、アクシデントの更新が出来ないでいる^^

ショート中も食事がしっかり取れたようだったし、母の顔つきも落ち着いているように、私には見える(笑)時々笑顔も出るし〜^^
透析後はさすがに食べられなかったようだけど、ぐったりするほどでもなく帰宅した。
現在の母には最高の状態なのかもしれない。
これでひと言でも言葉が出たらな〜なんて、欲張らない欲張らない^^;;


1/1 明けまして おめでとうございます。

振り返ると一番穏やかなお正月だったような気がします。
暮れにショートを入れていただいたので、お正月の準備もスムーズに出来ました。
母も超低空飛行ながら、痰の絡みも収まったし食事もいつもの時間で取れるようになってきました。相変わらず透析はあるけれど、これは母の命綱。いやだとは言っていられない^^;
それにお正月でも通院介助のヘルパーさんが入ってくれる。
家族は休んでいるわけだから、申し訳ないような気がするけれど、これはホント〜ウにありがたい。特別手当でも出そうかと言ったのだけれど・・・会社で出ているのかな。(上司さん、お願い出してあげてね。なんて、見ていないか〜)

これから始まる一年の予想はまったく付かないけれど、母の状態が良くなっていくとは思えない。でも、こうして助けてくださる方がいるから、私もがんばれる。
でも、踏ん張ることはしないでおこう・・・
実は箱根駅伝を見ていて思ったんです。倒れるまで走っちゃダメだって。ゆっくり歩くのもいいし、立ち止まってもいい。ひと休憩だって出来る。
肝に銘じておこうと思いました。

書き連ねただけのHPですから見る方には不都合があったり、文章的に変なことも多々ありですが、こんなものだと諦めて、また一年お付き合いいただきたいと思います。